旭川の治水と防災~町をまもった荒手(あらて)のヒミツにせまる~

動画の内容

「川除の法」の始まり
江戸時代、旭川は毎年のように氾濫(はんらん)し、岡山の町や岡山城に大きな被害を与えていました。そこで、岡山城主の池田光政が洪水対策に取り組み、熊沢蕃山が「川除の法」という治水案を考えました。

「荒手」と放水路の整備
「川除の法」は、旭川の増水を「荒手」と呼ばれる堤から放水路に分流させ、城下に流れ込む水を減らして被害を抑える方法です。蕃山の考えを基に、津田永忠が設計し、「一の荒手」「二の荒手」「三の荒手」という三段の荒手と、放水路(現在の旭川放水路「百間川」)が作られました。

現代に生きる江戸時代の洪水対策
「荒手」には、洪水時に水流の勢いを弱める役割と、土砂を沈殿させる機能があります。平成30年7月豪雨では、旭川の水が「一の荒手」を越えて百間川へ分流したことで、旭川の水位を1.3m下げることができ、洪水を安全に流すことができました。江戸時代の洪水対策に加えて、現在も堤防のかさ上げなどの対策が行われています。

防災の基本「自分の身は自分で守る」
優れた洪水対策がされていても、防災の基本は「自分の身は自分で守る」。災害時には早めに避難をすること、また、将来の災害に備えて岡山河川事務所作成の「逃げキッド」などを使って防災意識を高めることも必要です。

治水と防災の歴史に触れよう
「一の荒手」付近は現在「せせらぎ公園(岡山市中区今在家地先)」にもなっており、暮らしを守るために頑張った人や川を24時間守り続けている人の知恵や努力に触れることができます。

動画に関連する本

「郷土にかがやく人々3」岡山伝記文庫(日本文教出版)

「郷土にかがやく人々2」岡山伝記文庫(日本文教出版)

「学研まんがNEW日本の歴史 別巻 文化遺産学習事典」大石学/監修(学研教育出版)

動画に登場する「せせらぎ広場」について

【基本情報】

  • 施設名称:せせらぎ広場
  • 住  所:岡山市中区今在家地先