岡山の戦災と復興
動画の内容
■岡山にも空襲があったの?
昭和16(1941)年に始まった太平洋戦争で、日本はアメリカやイギリスと戦い、最初は勝利を重ねていましたが、次第に日本本土を爆撃されるようになりました。昭和20(1945)年には東京大空襲が起こり、広島県・長崎県に原子爆弾が落とされました。同じ年、岡山県も「岡山空襲」の被害を受けました。当時の貴重な映像や空襲体験者のインタビューをもとに、岡山の戦災と復興について学びましょう。
■岡山空襲がもたらした被害
昭和20(1945)年6月29日午前2時43分、岡山市上空にB-29爆撃機があらわれ、午前4時7分までのあいだにおよそ95,000発の焼夷弾が落とされました。これにより、岡山市街地の約63%が焼け野原になり、死亡者は少なくとも1,737人、被災者は少なくとも10万人以上と、多くの人々が傷つき亡くなりました。焼け落ちた岡山城や、焼け残った天満屋周辺の映像から、被害の大きさがわかります。
■空襲後、どうやって生活していたの?
岡山空襲で家を失った人々は、「バラック」と呼ばれる仮の家を建てたり、岡山駅などで暮らしたりと、とても大変な生活を送りました。食べ物も不足し、現在の岡山駅前の商店街には「闇市」が建ち並び、人々は違法と知りながらも、生きるために仕方がなく着る物を売って食べ物を買うなどして命を繋ぎました。
■空襲後、どうやってまちを復興させていったの?
食べ物や生活物資が不足する中でも、人々は壊れた家を建て直すなど、力を合わせてまちを立て直していきました。1960年代になると、今の岡山のまちなみに近づいています。人々の様々な工夫や努力のおかげで、今の岡山のまちなみに復興することができました。戦後新しい日本を作るための政治や経済の取組についても、調べてみましょう。